絵師の話。
好きな絵師は結構いますが、中でもてぃんくるが一番ですな。
まぁ自分ロリですから。
そういえばロリといえばこの前、読売新聞の1面の下に『ロリコン~少女趣向者の心理に迫る』みたいな広告ありましたね。
なんかいやですね、こうゆうロリコン、いやオタク文化を否定する感じのやつ。
そりゃオタクではない方たちからすればこっちは異常者なのかもしれませんが、それを異常と考える人もいるでしょう。
と考えると、どっちが異常でどっちが一般なのかって話になりますよね。世間はオタクではない方が多くを占めていますが、多数派が正しくて少数派が間違っているということになってはいけない筈です。
世界規模で言うと、資本主義と共産主義の関係ですね。
アメリカや日本のように資本主義の国もあれば、ロシアや中国のように共産主義で成立している国もあるように、どちらも正しいのです。
多数派が有利になってしまうのは日本の風潮でこれは戦前の軍国主義の異端者処罰、もっと遡ると、江戸時代のキリシタン廃絶運動の名残であるのかもしれません。
自分が正しくて相手は正しくないという風に。
ですが、公平な立場で外部から鑑みると、どちらも正しいです。
コードギアスのルルーシュとスザク、ひぐらしの主人公側と鷹野さん、車輪の国の主人公と法月将臣、G線上の魔王の宇佐美ハルと魔王などをイメージしていただくと分かりやすいと思います。
なのでオタク文化を否定する人たちはとりあえず一部だけに固執しないで、広い視野を持ってほしいと思います。
今更述べるまでもありませんが、けいおん!の人気とかやばいじゃないすか。
澪が作中で使っているベース売切れたらしいっすよ。
これはまさに二次元が三次元に到達したということでしょうかね。
まぁそれはおいといて。
てぃんくるの絵の魅力と言えば、キャラクターのデザインは言うまでもなく、絵全体の微細さでしょう。
絵が目茶苦茶細かい。
いろいろな絵師の絵、というかキャラの模写を練習していますが、てぃんくるの絵だけは全然描けません。
マジで。
服とかどうやって描いてんだろ。
あと、最近気が付いたのですが、てぃんくるの作品には人物と背景を隔てているはっきりした線が描かれていません。
これは、レオナルド・ダ・ビンチがかの有名なモナ・リザを描くのに使った技法で、それ以降肖像画とか写実主義の絵には大抵使われている有名なものです。
こういったら失礼かもしれませんが、このような芸術作品ではない、一部の特殊な趣向を持つものを対象とした作品でこの技巧を使っているのは本当にすごいと思います。
というわけで、てぃんくるはそのようなジャンルの世界で一線を画した存在であるといえましょう。
自分の話に戻りますが、今年の夏コミ行きましたよ。てぃんくるのグッズ買うために。ちなみに人生初のコミケでした。
二時間半並んだ末、結局目的の物を買えないという残念な結果に終わりましたが。残念!!
始発組なのに・・・
っていうか、前日から並ぶってありなのか?
一応コミケの規定では、駄目なんじゃなかったのか?
過ぎたことを悔やんでも仕方ありませんね。
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